古代エジプトの第二王朝に関する展示や新たな研究成果を紹介。ラムセス2世やミイラの製作法、古代エジプトのツールなどの興味深い情報が満載です。
ラムセス大王展、大エジプト博物館のゴネイム館長が訪問 「非常に秀逸な展示」と高評価
…に残っていることは驚くべきことだ」と語った。 駒沢大の大城道則教授(古代エジプト史)によると、ラムセス2世は90歳を超えても権力を握り、多くの子供を残…
(出典:)


古代エジプトのサムネイル
古代エジプト(こだいエジプト、(アラビア語: مصر القديمة、英語: Ancient Egypt)は、古代エジプトに対する呼称。具体的に、どの時期を指すかについては様々な説が存在するが、この項においては紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝が共和政ローマによって滅ぼされるまでの時代を扱う。…
62キロバイト (9,244 語) - 2025年2月22日 (土) 22:56

(出典 blogger.googleusercontent.com)


古代エジプトの第二王朝についての探求は、エジプト学の中でも特に魅力的なテーマです。
この時代は、古代エジプトの初期王朝の重要な足跡を残しており、文化、政治、社会の発展に関する貴重な手がかりを提供します。
特に、第二王朝の王々が築いた都市や神殿の遺跡からは、その時代の価値観や宗教観が色濃く反映されています。

2 世界@名無史さん :2024/09/27(金) 13:18:59.91 0.net
BSスペシャル
古代エジプトの謎を追え 〜挑戦者たちのバトン〜




4 世界@名無史さん :2024/09/29(日) 00:32:08.38 0.net
https://www.gizmodo.jp/2018/08/mummification-established-way-before-pharaohs.html

樹脂を使ったミイラ製造法は、もともと紀元前約2500年にエジプト古王国で発明されたと長らく考えられてきました。しかし2014年の研究が南エジプトのモスタゲッダで発見された葬式用の生地を分析した結果、エジプトにおけるミイラ製造の発端はさらに1500年以上前であることが示唆されました。

Mummy S. 293はかつて、高い気温と乾いた砂漠の環境が作り出した自然のミイラであると考えられていたそうです。しかし今回の研究でこれが植物油や熱された針葉樹の樹脂、植物から抽出されたアロマや植物性のゴム質の混合物を使ったエンバーミングによるミイラだということが確かめられました。

5 世界@名無史さん :2024/09/29(日) 00:33:50.71 0.net
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a2bd8cab7c94067848494be1712a233db71cbf4

新たな研究で、エジプト最古のピラミッドであるジョゼル王のピラミッドは、4700年前に原始的な油圧リフトを使って建造されたことが示唆されている。

6 世界@名無史さん :2024/09/29(日) 00:38:05.57 0.net
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/1686/

古代エジプトの墓:動物園の原型

古代エジプトの初期王朝が栄えた都市、ヒエラコンポリスの墓地の片隅で発掘されたヒヒの骨。約3500年前に埋葬されたもので、付近では9匹の犬と6匹の猫の骨も見つかった。

7 世界@名無史さん :2024/09/29(日) 07:35:20.41 0.net
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27869990Y8A300C1000000/

5000年前の古代エジプトの2体のミイラにタトゥーが見つかり、学術誌「Journal of Archaeological Science」に発表された。ミイラは1900年に発見された6体のコレクションの一部で、発見地点であるナイル川沿いの地名にちなみ、ゲベレインのミイラと呼ばれている。

ミイラの年代は、2体ともに紀元前3351年から3017年の間と判定されていることから、タトゥーのある遺体としては古代エジプトで最古のものとなった。

男性の体からは、雄牛と、バーバリーシープ(北アフリカ産のヒツジ)と思われる絵が見つかった。

女性の体には、肩関節の上にアルファベットの「S」のような記号が4つ並んでいるのと、「L」字型の線があることが判明した。後者について、考古学者たちは棒か木製のつえかもしれないと考えている。

9 世界@名無史さん :2024/10/12(土) 23:56:13.76 0.net
奈良文化財研究所は、京都府峰山町の赤坂今井墳丘墓から出土した頭飾りのガラス製管玉に、古代中国の青色顔料「漢青」(ハンブルー)の結晶が混在していたことが分かったと発表している。管玉に混在している漢青の成分はケイ酸銅バリウム(BaCuSi4O10 )

エジプトには紀元前3000年ころに開発された「エジプトブルー」と呼ばれる人工顔料がある。この化学組成はケイ酸銅カルシウム(CaCuSi4O10)で漢青(ハンブルー)と極めて類似している。

平原遺跡には約1800年前の女王の墓があり、銅鏡やアクセサリー類がたくさん見つかっている。その中には、886点に及ぶ紺色の「重層連珠」と呼ばれるガラス玉もある。

ソーダガラスは地域によって、融剤に使うソーダの原料が大きく二つに分かれる。古代の西アジアでは、植物の灰を原料にした。一方、ローマ帝国が支配していた東地中海沿岸では、エジプトの塩湖から取れるナトロンという塩類を使っていた。

平原遺跡から出土した重層連珠とよく似たガラス玉を、モンゴルとカザフスタンの遺跡からも発見した。そこで、これら2カ所から出たガラス玉と、平原の重層連珠の成分を、最新の蛍光X線分析装置を使って比較してみた。3カ所から出たガラス玉は、どれもマグネシウムとカリウムが少ないことから、ナトロンを使ったソーダガラスであることがわかった。

11 世界@名無史さん :2024/10/13(日) 10:24:20.54 0.net
古代エジプトのミイラが古代の中東の人々と密接な関係にあったことが明らかになり、北部アフリカの人々はサハラ以南の人々とは異なる遺伝的ルーツを持つことが示唆された。彼らと最も近縁なのは、新石器時代から青銅器時代にかけてレバントという名で知られた地中海東岸地方に住んでいた人々だった。意外なことに、古代エジプトのミイラは、現代エジプト人よりも古代の欧州人やアナトリア人と密接な関係にあった。

12 世界@名無史さん :2025/03/08(土) 19:02:10.54 ID:0.net
地球ドラマチック エジプトの女性神官

16 ウムウル :2025/03/17(月) 03:37:46.60 0.net
>>12
たぶんおんなじのだな
クシュのピイの妹だった

14 世界@名無史さん :2025/03/10(月) 18:44:49.91 0.net
シュメールで発見された Proverbs: from Urim
" …… the gods are three. So it is said, so let it be!"

古代エジプトでも "All gods are three: Amun, Re, and Ptah"

"アムン神の妻" は実在した伝説の王の妻を指す。伝説の王がアムン神。
"アムン神の妻"はヒエラコンポリスのHK43 (労働者墓地)に眠る人物。

エジプトの王権の象徴である flail (フレイル)。
先が3つに分かれているのは、古代メソポタミアの影響。 紀元前 3300-3000年頃の円筒印章に描かれている。
この円筒印章に、フレイルを持った人物が多くの羊を引き連れて歩いてる姿が描かれている。
これが、「羊飼い」の起源。 神に仕える人物を「牧師」と呼ぶのはこのため。

17 世界@名無史さん :2025/03/19(水) 17:07:38.08 0.net
「エジプト史上最も偉大」ラムセス2世の黄金期とは


(出典 Youtube)


18 世界@名無史さん :2025/04/12(土) 14:04:42.42 0.net
古代エジプトはアマルナ美術以外ないの?

19 世界@名無史さん :2025/04/23(水) 10:17:46.66 0.net
古代エジプトは神々の誕生の地
ヒエラコンポリスは旧約聖書の創世記の舞台

20 世界@名無史さん :2025/04/23(水) 10:20:49.33 0.net
『古代エジプトの謎: 動物の顔をした神々』を観て下さい。
ヒエラコンポリスの調査報告書を読んで下さい。

21 世界@名無史さん :2025/04/23(水) 11:19:09.01 0.net
http://www.hierakonpolis-online.org/index.php/nekhen-news
ヒエラコンポリスの調査報告書はこちら

22 世界@名無史さん :2025/04/30(水) 12:09:25.70 0.net
ヒエラコンポリスの紀元前12世紀後期に属する C-Group cemetery at HK27C の Tomb 9 の女性の遺体から「点々」の刺青が発見されました。
サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画には「点々」の布を被った男性が描かれています。
「その*では、男子はみな点々の入れ墨をする」魏略逸文(翰苑、唐、雍公叡注)

「すなわち最も遠くの地は小人の国で、この小人はヤシの葉を身につけていること」ヘロドトス 歴史 第四巻 (邦訳:前田滋)

サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画には、鳥と鹿がいる川(水路)が描かれている。
「道路は鳥や鹿の道のようである」魏志倭人伝

23 世界@名無史さん :2025/04/30(水) 12:24:05.33 0.net
>>22
訂正: 紀元前12世紀後期 → エジプト第12王朝後期
エジプト第12王朝(紀元前1991年頃 - 紀元前1782年頃)

25 世界@名無史さん :2025/04/30(水) 15:56:41.32 0.net
いわゆる『魏志』倭人伝は、エジプトのヒエラコンポリスの出来事を記録した中国の史書

26 世界@名無史さん :2025/05/03(土) 23:04:57.23 0.net
ゲベレインマン(大英博物館、EA32751)は、その赤い髪から非公式に「ジンジャー」とも呼ばれている。
ゲベレインで発見された若いエジプト人男性のミイラで、およそ紀元前3400年頃のものである。
彼は、死亡時18歳から21歳で、背中を大きな鋭利なもので刺され、殺害された。

27 世界@名無史さん :2025/05/03(土) 23:38:56.30 0.net
https://www.phrp.be/Palaeography.php
古代エジプトの壁画
A51 : as A50 with flagellum S45
A52 : noble squatting with flagellum S45

「黄色い旗」(黄幢)を持った姿で描かれている

28 世界@名無史さん :2025/05/04(日) 00:00:49.09 0.net
「次の突出部はペルシャに発して紅海に延び、ペルシャの地とこれに続くアッシリア、そこからアラビアへと至る。この突出部は、ダリウスがナイルから運河を開いたアラビア湾に終っている。事実としては終わってはいないが、通念としてそう云っている。
ペルシャからフェニキアの間はきわめて広大な陸地になっているが、フェニキアから我らの海寄りには、シリア・パレスチナとエジプトがある。そして突出部はここで終わっている。この突出部に住んでいるのは三つの民族だけである」
ヘロドトス 歴史 第四巻 (邦訳:前田滋)

上記は「アラビア半島」についての記述 (朝鮮半島ではない)
「アラビア半島」の先端がヒエラコンポリス (またはエジプト)に隣接していると、古代の中国人が勘違いした。

30 世界@名無史さん :2025/05/06(火) 21:35:43.49 0.net
ヒエラコンポリスの第100号墓の壁画には、「牛」を抑えつけている人物が描かれている。
ウルのスタンダードには、背中に赤い布を被せた「牛」を抑えつけ歩いている人物が描かれている。
サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画にも、「牛」を抑えつけ歩いている2人の人物が描かれている。
ルーブル美術館のローマ時代のレリーフにも、背中に布を被せた「牛」を抑えつけ歩いている人物が描かれている。

中国の陝西省礼泉県韋貴妃墓出土の『献馬図』には、背中に赤い布被せた「馬」を抑えつけ歩いている2人の人物が描かれている。
2人の人物はそれぞれ黄色い服と赤い服を着ている。

サントリーニ島のアクロティリのフレスコ画には、黄色い服(卑弥呼)と赤い服(壹與)を着た女性2人が描かれている。
高松塚古墳壁画の「飛鳥美人」には、黄色い服と赤い服を着た女性2人が描かれている。

31 世界@名無史さん :2025/05/06(火) 22:19:09.94 0.net
ヒエラコンポリスのHK6 (エリート墓地)では、ダチョウの羽根で作られた扇子の一部が発見されている。
ダチョウの羽根は、エジプトの女神マアト(Ma'at)のシンボル。
ダチョウの羽根の扇子は『三國志』の諸葛亮孔明のシンボル。