アジア〇みえ情報

アジア大好き!嫁、フィリピン人!
中年オヤジがお送りする東南アジアを中心とした海外旅行や海外移住、
海外情勢などちょっとお得な海外情報おまとめさいとです、
円安の間に知識をつけて戻れば一気にVacation!

エジプト文明


ヒッタイト王国 Ḫa-at-tu-ša / 𒄩𒀜𒌅𒊭 ヒッタイト王国の最大の範囲の地図。紀元前1350年から1300年の間にヒッタイト王国が支配していた領域を緑の線で示している。 ヒッタイト(/ˈhɪtaɪts/)(英語: Hittites[ˈhɪtaɪts]、古代ギリシア語: Χετταίοι、ラテン語:…
21キロバイト (2,162 語) - 2024年1月28日 (日) 08:53

(出典 courrier.jp)


日本の調査隊がトルコの古代遺跡を発掘するなんて、素晴らしい取り組みですね。
日本の調査チームが世界の謎を解明していくって何かロマンを感じますね。
期待しています、頑張って下さい。

1 Ikhtiandr ★
3000年以上前、今の中東地域で強大な勢力を誇った「ヒッタイト王国」のものと見られる粘土板を、日本の調査隊がトルコの古代遺跡からほぼ完全な状態で発掘しました。粘土板にはヒッタイト語のほか国家的な宗教儀礼で使われていたとされる言語「フリ語」も刻まれていて、発掘した研究者は「この遺跡が王国の重要な都市だったことを示唆するものだ」としています。

粘土板が発掘されたのは、トルコ中部にある「ビュクリュカレ遺跡」です。

この遺跡では、15年前から中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所の松村公仁研究員が率いる日本の調査隊が調査を行っています。

去年5月、遺跡の北側から70行にわたってくさび形文字が刻まれた手のひらほどの大きさの粘土板がほぼ完全な状態で見つかりました。

粘土板は文字の形から今からおよそ3300年前、紀元前14世紀ごろのヒッタイト王国の時代のものだと考えられ、ヒッタイト語だけでなく当時、宗教的な儀礼で用いられたフリ語という言語も刻まれていました。

フリ語で書かれた粘土板は、王国の首都「ハットゥーシャ」など重要な都市の遺跡でしか見つかっておらず、今回の発見はこの都市も王家との強いつながりがある重要な都市だったことを示唆しているということです。

松村研究員は「これまでビュクリュカレがどういう都市かは分かっていなかったが重要な都市だったとすれば今後も未知の歴史を明らかにする発見が期待できる」と話しています。

※続きは元ソースでご覧ください

NHK NEWS WEB 
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240228/k10014373451000.html




92 アフターコロナの名無しさん
>>1
赤い河のほとり

94 アフターコロナの名無しさん
>>1
中近東文化センターって天皇利権でしょ(´・ω・`)
NHKが報道してるのもそういうこと
ちなみにトプカプ宮殿とかいう名前でYahoo!オークションのアカウントを作っていた皇族もおられましたなぁ

2 アフターコロナの名無しさん
王家の紋章難民救済

8 アフターコロナの名無しさん
ダゴンとか崇めてた人たち?

9 アフターコロナの名無しさん
よく教科書に戦車使ってって書いてあったけど、現物みたいってずっと思ってた。

10 アフターコロナの名無しさん
意外と日本で出土した木簡やピラミッド石版の役人や労働者の愚痴みたいなたわいない

11 アフターコロナの名無しさん
内容かもな

13 アフターコロナの名無しさん
ペリシテ人の間違いでしたテヘ

14 アフターコロナの名無しさん
ダマスカス鋼

16 アフターコロナの名無しさん
ヒッタイト王国は今のトルコからシリアのあたりにあった国
オリエント世界で初めて鉄器を使用し
鉄製の車輪を二頭の馬にひかせる戦車(チャリオット)を発明したが
紀元前1200年ごろ西のエーゲ海方面から侵入した「海の民」と呼ばれる
移民の大集団により滅亡したとされる

24 アフターコロナの名無しさん
>>16
その頃に大旱魃があったってNHKの番組でやってたな

27 アフターコロナの名無しさん
>>24
BSで最近放送してたね
海の民はエジプトやギリシャやトルコシリア辺りの難民の寄せ集め集団だったとか、50年くらいの間に飢饉やら大地震やら色々あったとか

66 アフターコロナの名無しさん
>>16
内乱状態になり国力が衰退し、国が滅んだという説もある
海の民の話は通説に過ぎないよ

73 アフターコロナの名無しさん
>>16
いろんな遺跡の発掘であるはずのない時代に鉄やらでてきちゃうって作治が言ってた

19 アフターコロナの名無しさん
今の教科書だと最初に鉄を使用したのはヒッタイトじゃなくなってるんだよな

69 アフターコロナの名無しさん
>>19
アナトリアの先住民族のハッティが鉄器使い始めてヒッタイトは北からそこにやってきた征服者だってことになってるね

21 アフターコロナの名無しさん
テショブてどんな神か知らなかったから検索したら、ギリシャ神話のゼウスの原型と言われてるらしい

22 アフターコロナの名無しさん
あぁこれは有名な話だろ。
何が書いてあるか解読したら「今の若い奴らはだめだ。」って書いてあったっていう話。

30 アフターコロナの名無しさん
>>22
〉粘土板に刻まれていた70行にわたる文章の始めの6行には、ヒッタイト語で、“首都ハットゥーシャを含む4都市が災いにあっている”という内容が記されていました。

そして、そこから先の本文と考えられる部分には、「フリ語」という別の言語で対立する隣国の王の名前や最高神「テショブ」に祈りをささげる内容が刻まれています。

今回発見されたのは神への祈祷文だとか

46 アフターコロナの名無しさん
>>30
疫病が流行っていた頃かな

25 アフターコロナの名無しさん
欧米からすると、古代オリエントなのに印欧語族で聖書にも出て来るから関心持たれてるんだとか
でも海の民にもケルト系が参加してるよな

26 アフターコロナの名無しさん
世界史でミタンニ、ヒッタイト、カッシートて覚えたよな
意味はわからん

28 アフターコロナの名無しさん
このハイムの戦役以後、ヒッタイト人に統一されるまで、

31 アフターコロナの名無しさん
楔形文字・・・・ 
懐かしい記憶が蘇ってきたわw

34 アフターコロナの名無しさん
よく読めるなー
すごい

35 アフターコロナの名無しさん
ツタンカーメンと同時代ですな

36 アフターコロナの名無しさん
縄文時代晩期だの

37 アフターコロナの名無しさん
難民の群れでヒッタイトが滅亡した
まるでいまの欧州とアメリカのようだね

38 アフターコロナの名無しさん
人類は鉄を造れるようになって幸せになったのか?
固い土地を楽に耕せるようになって平和になったのか?
固いヨロイを楽に貫けるようになって戦乱になったのか?

39 アフターコロナの名無しさん
日本人は日本の遺跡漁ってればいいのに
わざわざ他国に押しかけてて草

40 アフターコロナの名無しさん
>>39
シュリーマン「せやな」

51 アフターコロナの名無しさん
>>39
そもそも日本人がシュメール文明や古代エジプトの文明を作ったから

74 アフターコロナの名無しさん
>>39
宮内庁が掘らせてくれない

76 アフターコロナの名無しさん
>>74
掘らせないのはアメリカなんだよ
天皇陵の発掘をして日本神話の正しさが証明されちゃったら怖いからさ
戦後宮内庁はそのために存在してる官庁なんだよ
日本の天皇を抑えるため

78 アフターコロナの名無しさん
>>76
中臣鎌足の墓が見つかって保全もせず埋め戻した戦前日本の末裔がアメリカのせいにするとか噴飯ものの陰謀論なんだが

80 アフターコロナの名無しさん
>>78
あれは埋まってるから保全されてるんだよ
一応鎌足さんのレントゲンは撮ったし

75 アフターコロナの名無しさん
>>39
発掘してる中近東文化センターは中近東考古学者だった三笠宮崇仁親王が設立したんだよ
宮様のご威光があるからトルコに常設の設備作って発掘出来るの

77 アフターコロナの名無しさん
>>75
日本国内で中近東古代史がちょっと特別なポジションにあるの三笠宮のおかげだよなあ
この人おらんかったら日本の中近東古代史ネタの創作も全然違うものになってたと思うわ
インダス文明はもちろん、お隣の黄河文明よりもエジプト・メソポタミアのほうが人気だもんな

89 アフターコロナの名無しさん
>>81
三笠宮崇仁親王のオリエント研究は昭和には有名でした
東京女子大学で古代オリエント史やヘブライ語の講座を持ち
NHK教育テレビ(現Eテレ)の市民大学で古代エジプトの神々と言うシリーズの講義も放映されました

43 アフターコロナの名無しさん
海の民は寄せ集めだろ
それがヒッタイトに押し寄せたってイメージだけど、いまのように人口多くないだろうし
小麦じゃなく米が主食の土地で動員される規模の軍隊を頭に思い浮かべるアジア人が想像するほど、
密集度も高くないんだろうな




長江文明(ちょうこうぶんめい)は、中国長江流域で起こった複数の古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年ごろまでが範囲に入る。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。 20世紀前半に黄河文明
16キロバイト (2,115 語) - 2023年8月15日 (火) 01:09
長江文明は、古代中国の最も重要な文明の一つです。
その豊かな歴史と文化は、私たちに多くのことを教えてくれます。
自然との調和と、社会的な統一がこの文明の特徴であり、その遺産は今日でも私たちに大きなインスピレーションを与えています。

1 名無しさん@お腹いっぱい。
長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。
黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから
紀元前1000年頃までが範囲に入る。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。

また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B1%9F%E6%96%87%E6%98%8E




2 名無しさん@お腹いっぱい。
興味深きことです

3 名無しさん@お腹いっぱい。
第五の文明と言うが、今や、四大文明という概念自体あまり意味がなくなっている*。

4 名無しさん@お腹いっぱい。
四大文明という言葉は死語になりつつあるらしいしな

5 名無しさん@お腹いっぱい。
黄河、インダス、メソポタミア、エジプトの4つの文明は、
遺跡がたまたま早くに発見されただけで、
実際はたくさんある古代文明の1つに過ぎなかったということ。

古代の世界は、今の人間が思うよりはるかに多様な文明が各地で芽生えて、
栄えていた。

6 名無しさん@お腹いっぱい。
じゃあ、きっと日本も知られざる高度な文明が存在していたということだな。

8 名無しさん@お腹いっぱい。
>>6
八大文明の一つとか言ってた学者もいましたね

ところで、長江文明って今のミャオ族・タイ族なんですか?

9 名無しさん@お腹いっぱい。
>>8
苗族は、黄河流域の方にいたんじゃなかったっけ?

7 名無しさん@お腹いっぱい。
石造りの文明の方が、後世に遺跡として残りやすい傾向はあるね。

11 名無しさん@お腹いっぱい。
>文明の時期として紀元前14000年ごろから
じゃあ中国16000年の歴史になってしまうな。
今言ってるのよりも10000年も増えるじゃねーか

14 名無しさん@お腹いっぱい。
今のところは、長江流域で始まった稲作農業が、
分かっている限りでは、世界最古の農業文明らしいね。

西アジアでの小麦栽培は12000年ぐらい前かららしいし。

16 名無しさん@お腹いっぱい。
>>15
思いつくだけじゃ認められないからな

44 名無しさん@お腹いっぱい。
>>15
司馬遷の史記で中国人の先祖は黄河流域で誕生と書いてるから
その記述を絶対視してたんじゃないかと。

17 名無しさん@お腹いっぱい。
文字を作って出来事を記録するということを思いついた文明は
やっぱり後世に残る、知られるという点では有利でしょ

18 名無しさん@お腹いっぱい。
メソポタミアからどのようにして黄河、長江流域に文明が伝わったか興味深いね

20 名無しさん@お腹いっぱい。
最古はどこなんだろうな?

21 名無しさん@お腹いっぱい。
多分海の下。
氷河期の終了とともに海中に沈んだ。インド近海で発見された都市遺跡が
多分最古のものだろう

23 名無しさん@お腹いっぱい。
海の下という話では、東シナ海もけっこう浅い海だから
長江文明もそんな感じかもね

24 名無しさん@お腹いっぱい。
沖縄近海の海底に遺跡?らしきものがあるという話を聞いたことがある

29 名無しさん@お腹いっぱい。
>>24
たぶん与那国島の海底遺跡のことだろうね。
1万年ほど前の遺跡らしいから、世界最古の文明の跡ということになるのかもな。

32 名無しさん@お腹いっぱい。
>>27
さすがにそこまでは。

長江の文明ははっきりと実在したわけだし、
別に超テクノロジーがあったとか言う訳でもないので。

ムーとかアトランティスとは、訳が違う。

30 名無しさん@お腹いっぱい。
ありゃただの岩だと思うよ

31 名無しさん@お腹いっぱい。
>>30
うーん、どう見ても、ただの岩には見えんのだが・・・。

33 名無しさん@お腹いっぱい。
中国の神話で、何か長江文明を窺わせるような伝承ってないのかな?

36 名無しさん@お腹いっぱい。
与那国島の海底遺跡は眉唾ものだけど
今より海面が低い時代にはそうとう広い範囲で東シナ海は陸地だったっぽいから
海のそこに文明の痕跡が眠っていても不思議では無いな

37 名無しさん@お腹いっぱい。
台湾にはどんな遺跡があるのかな。

38 名無しさん@お腹いっぱい。
広東のあたりも古代文明っぽいものはなかったのかな?

41 名無しさん@お腹いっぱい。
>>38
広州の近くにもそこそこ大きな川があるから、
ひょっとしたら、とは思うね。

遼東にも文明らしきものはあったのだから。

43 名無しさん@お腹いっぱい。
長江流域の古代人はこんな顔?6000年前の頭蓋骨から復元―中国

6000年前、長江中・下流域に住んでいた祖先の顔立ちはどのようなものだったのだろうか。
中国の新石器時代文化の遺跡―江蘇省金壇市三星村の遺跡から出土した頭蓋骨を
使って専門家が1年に渡って研究、その成果がようやく実ったと、
2007年11月20日、東方網が伝えた。

今回の三星村古代人の頭部復元は、金壇市博物館が公安部刑事の調査専門家に委託して
1年がかりで完成されたもの。説明によれば、復元された“原型”は
男女各ひとつの頭蓋骨で、中国刑事学院の依偉力(イー・ウェイリー)教授などの
専門家の手で200あまりの出土した頭蓋骨の中から選び抜かれた
「推定30歳前後の理想的な頭蓋骨」だそうだ。

06年には、湖南省長沙市の馬王堆漢墓で発見された女性ミイラを復元、
他にもこれまで22体の楼蘭女性ミイラの顔などが中国刑事学院の依偉力教授、
趙文章(ジャオ・ウェンジャン)教授の手によって復元されているものの、
その多くは立体のものではなかったことから、今回の立体的な石膏像としての
復元は注目を浴びている。
ある専門家によれば、今回復元された顔と実際の顔の誤差は20%以下とのこと。

復元された古代人の頭部石膏像は同博物館で一般公開される予定だという。
(翻訳・編集/岡田)

http://www.recordchina.co.jp/group/g13043.html

45 名無しさん@お腹いっぱい。
やはりどうしても、考古学でなければわからない文明の
研究は文献学でかなりわかる文明より遅れるんだろう

46 名無しさん@お腹いっぱい。
>>45
そりゃそうだ
「徳川埋蔵金がこの辺に埋まってます、掘りましょう」ってのと
「埋蔵金が出ました、徳川埋蔵金でした」じゃ糸井重里のテンションも変わるだろ?

47 名無しさん@お腹いっぱい。
>>46
言われて見りゃ、「あるとしか言えない」として掘っていたのも立派な考古学の営みだったよな。
あの人は元考古学者になるわけだ。今にして思えば。

結局遺跡は見つからなかったが。

49 名無しさん@お腹いっぱい。
「殷墟」並み、21世紀最大の発見か?5000年前の「良渚」古代都市、高度な文
明物語る―中国

2007年11月29日、浙江省杭州市良渚文化区で、約5000年前の古代の都市の遺跡
が発見された。その規模は290万平方キロメートルを超えると見られ、「殷墟
」に匹敵する大発見だと見られている。チャイナフォトプレスが伝えた。

良渚文化は5000―4000年前に長江下流域で栄えていたとされる中国の古代文明
。黒陶を主とした陶器をはじめ、玉器・銅器・シルクなどさまざまな文物が発
見されており、高い文化を築いていたと推測される。

今回発見された遺跡は良渚文化の古代都市としては最大のもの。都市は1500か
ら1900mの正方形を象っており、街は南北の軸に平行になるよう建設されてい
る。発見された城壁の下部には幅40mにわたり石が敷き詰められていた。当時
はその上に黄土を突き固め、高さ4m程度の城壁にしていたと見られる。関係者
はこの大規模な遺跡の発見は良渚文明の文明の高さを証明するものになると話
し、20世紀の「殷墟」発見に匹敵する考古学界の一大ニュースだとコメントし
た。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071130-00000005-rcdc-cn

写真
http://www.recordchina.co.jp/show.php?img=cfp390707829.jpg
http://www.recordchina.co.jp/show.php?img=cfp390707826.jpg
http://www.recordchina.co.jp/show.php?img=cfp390707823.jpg

50 名無しさん@お腹いっぱい。
>>49
杭州となると越の領域か?

1.5×1.9キロの規模の都市なら、居住人口が軽く1万人を超えるんじゃ



このページのトップヘ